昭和48年01月31日 夜の御理解



 今末永先生がお話しとったように、自分の欠点を生かしてと言った様な事を言ってましたが。私もそれによく似た事を、今日昼頂いたんですよ。というのはある方の事を、四時のご祈念の時にお願いさせて貰いよったら、その方が所謂昔の鎧武者ですね、鎧武者ですけども。兜はかぶってなくて鎧だけ着て、髪はざんばらになって、馬のくつわをこう握っておるとこを頂いたんですよ。
 その人の私は願っておる人の生き方っていうのは、人間的には非常に素晴らしい、いうなら今のとは反対に、欠点のない人なんですよね。人物的には非常に素晴らしい人なんです。けれども信心が出来ないわけです。その事をお願いしよったら、その事を頂きましてね。ははぁして見ると人間の一生のうちには様々な、仕事の失敗とかそう言う事もですけれども、人間的失敗とでも言うでしょうかね、そう言う様な所謂馬と言うのは、まぁいうなら卑しい心とでも申しましょうか。
 髪をざんばらにしとるというのは、神を信心を乱したと言う事になりましょうか。だから、信心を乱していうなら、背信の行為と申しますかね、心に背いた行為をする。そこで、失敗をして、初めて神様に向かった時ですね、私はその馬に乗って普通では通れない所を、走って行けれる通り抜けられるという様な、おかげが頂けるんだと、悟らせて頂いてね。してみるとその人が一遍ぐらい、人間的失敗をした方がいいなと言った様な事を、この場で感じたんですけれど。
 まぁお互い多くの人は、それを皆んな持っておる訳ですからね。ですからそういう信心を、こうして頂いておるといつかの機会に、そう言う様なおかげが頂かれる。またそう言う様なチャンスに、いわば恵まれるというおかげを頂く。例えば自分で例えばこの腕を切り落とすなんていう様な事は、とても出来ませんけれども。なんか事故かなんかで切り落とす。そこから素晴らしい精進をして、例えば左甚五郎のようにね。
 右手を切り落とされたから、かえって左の手で技術がさえたと、言った様なおかげを頂く事があるんです。だからその時点をやはり生かしていくと言う事。そういうおかげを頂かなければいけない。まぁ頂けるんだと。そう言う事もあるんだと言う事をね。末永先生の今日の話と、私四時の御祈念に頂いた、それとをこう合わせて、欠点そのものも、まただから有難いお徳を受ける元になるんだと言う様な事が分かりますですね。
   どうぞ。